行き過ぎた時間管理ブーム

 ちょっと前にピーター・ドラッカー氏がのこした次の言葉を引用させてもらったことがありました。

「時間は最も乏しい資源であり、それが管理できなければ他の何も管理することはできない。」

"Time is the scarcest resource, and unless it is managed, nothing else can be managed."


日本のある編集者がドラッカー氏に「暇なときにはなにをされているのですか?」と質問したとき、「私に暇な時間などない」と答えていたインタビュー記事を読んだことがあります。そのとき痛く感銘を受けて、とにかく時間を無駄にしてはいけないと思ったものでした。自転車の移動中でもニュースを聞けるように小型のスピーカーをヘルメットに内蔵させようとしたり、山歩きのときもオーディオブックや英語ニュースを聞くためにipodを持って行こうとしたり、とにかく時間を有効活用しようと躍起になっていた時期があるのです。そのようなことをしているといかにも時間を充実させているような気分になってくるのですが、ある本を読み返したときにハッとしたのであります。


■禅とオートバイ修理技術
 この本を1回目に読んだとき、私の興味は純粋に「オートバイ修理技術」に向けられていました(その頃乗っていたオートバイのメンテナンスを自分でしていたので)。そのため著者の思想にあたる部分についてはほとんど読み飛ばしていたような状態でした。。
 先日この本を再び読んでみたのですが、オートバイに乗らなくなってから5,6年たっていることもあってか今度は修理技術以外の部分に意識が向けられ、最初に読んだときには何も感じなかった多くの部分に感銘を受けたのです。

「何?」とまたクリスが叫ぶ。
「何でもないんだ」
「えっ、何だって?」
「おまえがちゃんといるかどうか確かめただけだ」と私は叫び、口を閉じる。
 大声で叫ぶことが嫌ならば、何も走っているバイクの上で話をする必要はない。その代わりそのとき気づいたいろんな事柄について、じっくりと考えて時を過ごせばよい。周囲の風景、物音、天候の状態、そのとき思いついたこと、それにバイクのことや、いま走っている田舎のことなどについて、急がず、時間を浪費しているなどとは思わずに、ことのほかゆったりとした気分で考えるのだ。

「禅とオートバイ修理技術(上)」p32

 こうして草原を見ていると、私はいつも心のなかで、「ね、分かるかい?」とシルヴィアに問いかける。もちろん彼女には分かっていると思う。私は、ほかの人に話しても分かってもらえそうにないことを、彼女がこの大草原から感じとってくれることを期待しているのだ。それ以外のいっさいのものが存在しないからこそここに在るもの、そしてほかに存在するものがないからこそ気づきうるもの――それを感じとって欲しいのだ。都会生活の単調さと退屈にときおり押しつぶされそうになっているシルヴィアだからこそ、この果てしのない草原と風に触れてそれを感じとることができると、私は思ったのだ。なぜなら、それは単調さと退屈さを受け止めたとき、向こうからおのずと現われてくるものなのだから。それは確かに、いま、ここに在るのだが、どう表現したらいいのか分からない。

同 p56


ここ数年の自己啓発ブームで、過剰なまでに時間効率を追求するような部分が目についたりします。ちょっと行き過ぎだなあと思うこともしばしばで、そろそろブレーキかけたほうがいいのではないかと思ったりするのです。
時間管理というのは「やるべきことをちゃっちゃと終わらせる」ためのもので、それによって生まれた時間を自分の好きなように使えるようにすることだと思います。すべての時間になんらかのブロックを押し込むようなことは、必ずしも充実した人生を送っているとは言えないのではないでしょうか。

禅とオートバイ修理技術〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)
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