火星の人類学者

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)オリヴァー サックス Oliver Sacks

早川書房 2001-04
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 今朝、いつも通っている道をオートバイで走行中のことでした。坂を下って田んぼの中の道へさしかかったとき、前方の田んぼの中に女性が二人ほどいるのを認めました。ただし「虫取りか。。。夏だなぁ」と考えて、車の有無を確認するためすぐさま視線をもっと先に移したのです。ところがその女性達の横を通過するときにこちらに向かって何やら必死に呼びかけてきました。よく見ると田んぼになぜだかミニバイクが。それを二人で引き上げようとしていたのでした。
 田んぼには水が張ってあり、足を入れると膝近くまで沈み込むような状態。履いていたライディングシューズと靴下を脱いでその女性二人と一緒にミニバイクを引き上げたのです。若い女性が走行中に誤ってミニバイクごと田んぼに落ちてしまい、車で通りかかったおばさんがそれを助けようと奮闘していた模様。幸いミニバイクの女性にはケガもなく、家族に連絡して迎えに来てもらうことになっているとのことなのでおばさんと私はその場から立ち去ったのであります。


■「見えて」いても「見えない」
 上記の一件後にまっさきに思い出したのが表記の本に出てくる盲目男性の話。幼いころからわずかに光を感じる程度の視力しかなかった50歳の男性が目の手術をして視力が回復するのですが、晴眼者が思っているようには話は進みません。長い時間をかけて触覚や聴覚で周りの世界を認識してきた人にとっては、回復したばかりの視覚から入ってくる情報はうまく処理できないのです。


 生まれながらに見える者には、こんなとまどいは想像もできないだろう。はじめから五感が補いあって働き、見えるものと概念と意味とが一体になった世界がかたちづくられているからだ。毎朝、目覚めて見るのは、生まれて以来、学びつづけてきた世界だ。その世界は与えられるのではない。間断のない経験と区分けと記憶と関連づけを通じて、自分でつくりあげてきた世界だ。


火星の人類学者
p163


 目が不自由な方とそうではない人との比較は極端な例でしょうが、目が見えていても視野に入ったものをすべて正確に認知して脳がそれを処理しているわけではありません。車などを運転しているときには注意を集中させすぎないことが必要な場合もあり、今回私が田んぼのなかで起きていることを「適当に」処理したのもその一例と言えるでしょう。


今日の動画
  Roger_Daltrey-The Price of Love.wmv
   http://www.youtube.com/watch?v=o1gRMugtea4