宮本武蔵より

 宮本武蔵のなかでとくに気に入っているくだり。武蔵とその弟子(のちに養子となる)伊織の会話です。

「将軍家の御指南役って、偉いんだろうね」
「うむ」
「おらも大きくなったら、柳生様のようになろう」
「そんな小さい望みを持つんじゃない」
「え。……なぜ?」
「富士山をごらん」
「富士山にゃなれないよ」
「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値打ちは世の人が決めてくれる」



 吉川英治 宮本武蔵(六)「入城府」より